臨床心理士のミナコです。ご覧いただきありがとうございます。
今回は、生育歴ナラティヴ・セラピーとパニック障害専門のプラクティカル・セラピーをパニック発作や予期不安の軽減に活用し、QOL(quality of life・生活の質)の向上に役立てていただいた事例をご紹介します。
これからもずっとパニック発作に怯えて生活するのかと思うと虚しい…
ジュンコさんは35歳のパート社員さん。
病院でお掃除のお仕事をしています。
真面目でハキハキしていて人当たりも良いジュンコさんですが、パニック障害を10年患っておられます。
同年代のお友達が結婚したり出産したりとライフイベントを経て新たな家庭を構築していく中で、ジュンコさんは、
「生活のほとんどをパニック障害への不安と対処に費やしています。虚しくなってきました。10年後を考えたときに、今と同じようにパニックへの恐怖を抑えるのが最優先の生活をしていると思うとゾッとします。なんとかしたいです」
とおっしゃり、まずは生育歴ナラティヴ・セラピーでこれまでの人生を振り返ることにしました。
不安になりやすかった子ども時代
思い出せる中でもっとも古い(子ども時代の)思い出から生育歴を現在まで遡る形でじっくりと語りながら辿る、ナラティヴ・セラピー。
ジュンコさんの語る子ども時代は、ほぼすべてのエピソードが不安と隣り合わせでした。
どこかに遊びに行くにも不安、
おさななじみの友達といても不安、
家にいてもなぜだか不安…
不安、という表現を別の言葉に言い換えてみていただくと、
「安心できない…という感じです。不安と同じかもしれないけれど。うわべはニコニコしていても心の中は落ち着かない、そわそわしていてなぜか恐怖感がある、恐怖が来ることに怯えている…といったふうです」
ジュンコさんの語りは、パニック障害の方がよくおっしゃる内容でした。
愛着形成の微妙なうまくいかなさが垣間見える
パニック障害の方は、一概には言えませんが子どもの頃に愛着形成がうまくいかず、漠然とした不安を抱え、その感覚が強化されながら大人になっていきがちです。
お父さんお母さんがしっかりと愛してくれていても、お子さんとの相性によって愛着形成が微妙にうまくいかないということはあり得ます。
ジュンコさんとも、そういったインフォームド・セラピー的な内容もまじえながら生育歴を辿っていきました。
実際、ジュンコさんは満足はいっていなかったもののお父さんからもお母さんからも愛されていたと思う、とおっしゃいます。
学生時代は優等生と不登校を行ったり来たり
学生時代は優等生で、委員会などの役割を毎年度引き受け、そつなくこなしていたジュンコさん。
しかし、時折学校に行きたくなくなっては不登校気味になっていたと言います。
「学校に行きたくない、と思っているのが先生や同級生にバレたくないので、体調がわるいフリをしていました。それで保健室で過ごしたり、数日間休んだり…親にはわかっていたと思いますが、特に何も言われませんでした」
実際、お腹が痛い、頭が痛いと言って休むと、本当に腹痛や頭痛がしてきたこともあるとのこと。
「自己暗示にかかりやすいんでしょうね…。きっと、もっと気持ちを強く持てれば心身ともに強くなれるような気がしているんです 笑」
不登校の子どもさんは学校を休むために(表面的には、という意味で)体を張っていますので、心因性の身体症状が発現しがちです。
「なぜ学校に行きたくないと思っているのがバレたくなかったの?」とききますと、
「弱い子だと思われるのがいやだったんだと思います。優等生じゃなくなってしまう、と。優等生のイメージを持ち続けてほしいと思っていました」
不登校はダメなこと、優等生は良いこと、というイメージがあるのかな、と申しますと、
「そうかもしれません。一度「ダメ」のほうに気を許してしまうとドドドッと雪崩れてしまいそうで怖いんです。気を張っていないと…」
今のお話には、昔からあった恐怖感との共通項があるように思う、と申しますと、
「たしかに! ダメになってしまうことが怖いんです。自分がダメになるというより、まわりから「ダメなやつだ」と思われることが怖いです」
ダメと思われることが怖い…
「人から「ダメなやつ」と思われることが怖い」
このテーマは、思春期、青年期を経て大人になってからも続きました。
パニック発作が初めて起きたのも、「ダメ」のレッテルが貼られてしまうことを究極に恐れたときだった、とジュンコさんはおっしゃいます。
「25歳のとき、新卒で勤めた会社で任されることが増え始め、苦手なこともしなくちゃならなくて」
「私は電車通勤があまり好きではないんです。最初の勤め先は自転車で20分くらいの近所だったのですが、2時間くらいかかる支社に異動になってしまって。2、3ヶ月はがんばっていましたが、通勤途中に貧血のような発作を何度も起こして、それがパニック発作だったわけですが、怖くなって電車に乗れなくなってしまって…」
疲れだろうと思っていたけれど、会社での責任に耐えられなかったのだろうと、セラピーの中で分析するジュンコさん。
「会社をやめてからはしばらくひきこもって、これじゃまずいと思ってお医者さんと相談して少しでも安心できそうなパートを見つけました」
新しい仕事による葛藤…安堵感と劣等感
職場は精神科も併設されている病院。
仕事内容は清掃サービスです。
「掃除は好きだからいいのです。でも劣等感はありますね。お掃除の仕事ってイメージが、どうしても」
プライドの高さも垣間見えるジュンコさんですが、病院で働くのを決めたのには理由がありました。
「パニック発作を起こしても病院ならすぐになんとかしてもらえると思って…。精神科もありますし。恥ずかしいですけど、発作を起こしても誰かに気づいてもらって助けてもらえる、ひとりで苦しまなくても大丈夫、と思えることが仕事探しの最優先事項だったんです」
発作と予期不安に怯えながらも続けていられる今の仕事。
大きな不満はないけれど、安堵感の代わりに劣等感にさいなまれるジュンコさん。
彼女の優等生部分、けれど、事実、素晴らしい能力を持て余しているとも言える部分が「私はもっと羽ばたきたい、輝きたい」と望んでいました。
続く苦しみと孤独のイメージ
生育歴ナラティヴ・セラピーでこれまでの人生の振り返りを済ませ、ジュンコさんはプラクティカル・セラピーの月毎セッションでパニック障害と向き合うことにしました。
生育歴セラピーで出てきた「ひとりで孤独に苦しむイメージ」が繰り返し登場し、ジュンコさんの深い不安につながっていることがわかってきました。
ふと、ジュンコさんは気づいたように言いました。
「なぜ私は、こんなにも人に気づいてもらえないと思っているのでしょう。周りが看護師さんやお医者さんなど世話する専門家でないと、助けてもらえないと思いこんでいます…」
ジュンコさんは、やはり生育歴セラピーの中で出てきた「ダメな自分」のイメージを思い浮かべました。
「ダメな自分だと、人から助けてもらえないと思っているのかもしれません」
そう言って、ジュンコさんはポロポロと涙を流し始めました。
ダメな自分は見捨てられるという不安イメージ
「こういうシーンが浮かびます。
…父も母もとてもしっかりした人で、私が少しでも駄々をこねるとプイッとそっぽを向いてしまいます。これは本当にあったエピソードかどうかはもう思い出せないのですが…」
ジュンコさんのイメージの中のご両親、つまり内的お父さんイメージと内的お母さんイメージはそのような、ダメなジュンコさんを見捨ててしまうイメージなのだと理解できました。
「もし、このような、ダメな私は見向きもしてもらえない、助けてくれると思える人がいる状態でないと不安、というイメージが私の不安の発端のひとつ、パニック障害の原因のひとつなら、悲しさや虚しさはありますが、少しホッとします」
最初の頃に感じていた、パニックへの対処を最優先とする生き方を考えたときの悲しみや虚しさが、見捨てられ不安を超えて、前向きな気持ちとつながりました。
自分と適切に向き合って…
ジュンコさんは不安イメージと向き合い始めました。
「駄々をこねることやダメな自分がすべてわるいとは今は思いません。できないことも苦手なこともあるし…人間ですから」
「ダメな自分、というイメージを広げすぎたかもしれない…本当は大してダメなんかじゃないと思っている部分もありそうです」
「私の中の父や母のイメージは、思い通りにならない私を見捨てるイメージでした。私自身が、私の中で処理しきれない面倒な部分を切り捨てようとしていたのかも…それでも私は私ですものね」
自分の気持ちを言葉にするのがどんどん楽になってきたというジュンコさん。
同時に、だんだんと生活の質が良くなってきたと言います。
不安に悩む時間が減りQOLも向上…!
「予期不安に悩む時間が減りました。こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、と考えていた頃が懐かしいです 笑」
漠然とした不安の中身がはっきりした部分があり、不安にとらわれる必要がなくなってきたからだと思われます。
ジュンコさんは自分と向き合うセラピーを続けながら、ウォーキングや筋トレで身体を鍛えたりイメージ療法で不安を軽減し、仕事時間を増やすことにチャレンジしようとしています。
「いずれは、困っている人を支援する仕事をしたいです」と、正社員を目指しています。